![]()


●私ってこんな● 1972年9月9日生まれ。東京都出身。大正大学の入学式で最初に勧誘された劇団とげぬき座にふらりと参加し芝居の楽しさ目覚める。在学中に自ら劇団しゃっくりママさんを旗揚げするが、第1回公演の『すなあらしのテレビジョン』(1995年)を発表後に活動停止。卒業後はサラリーマン生活を送る。
しかし芝居がどうしてもやりたくて1997年に里吉しげみ主宰、水森亜土を看板女優とする劇団未来劇場に入団。3本の作品に出演。翌年退団。奥居俊二による『THEATER PUNK』(1998年)に出演するなど活動の範囲を広めようとしたが持病の腰痛のため舞台から遠ざかる。
3年の休養後2001年10月にしゃっくりママさん第2回公演『丈夫な夫婦』で復帰。客演を中心に年1回のペースでしゃっくりママさんの公演も行う。
最近の活動としては映画『自殺サークル』(2002年、園子温監督)、にんじんボーン『たんぽぽは眠らない』(2002年5月、下北沢ザ・スズナリ)、 『佳日の方へ』(2003年2月、下北沢ザ・スズナリ)などがある。
<大正大学時代>
・劇団とげぬき座 「Die For U」 作・演出 月下部悟史 1991.12.13〜15
at アートボックスホール記念すべきデビュー作。悪役・石黒の部下として出演。そしてセリフは「あります。」 のひとこと。これだけで約一ヶ月半かけた役作りは尋常ではなかった。このセリフが一部で流行ったが、一番は「ドジったな、石黒!」だろう。
・劇団とげぬき座 「Engage」 作・演出 若山隆司 1992.3.6〜8
at アートスペース・サンライズホールとげぬき座最後のシアタージャンキー、若山隆司氏が大学7年生で卒業したのを祝しての公演。しかし当の本人は一向に脚本を仕上げずに酒を飲む始末。結局各々でシーンを作り上げ、若山氏の「いいんじゃん。」で決まるという誰が作・演なんだ状態となる。私はなぜかブルース・ブラザースのエルウッド役で出演。 ショート漫才など脚本を一部書く。これが次回の「灰色の街」へとつながり、手痛いしっぺ返しをくらうことになる。
稽古は体育会系色が濃く、「ぐいぐいわっしょい」、「川原特攻」など芝居に関係あるのかわからない運動をやらされる。役者陣の苦労があってか、一部で評判を得る。が、その後の卒業式当日に若山氏が留年していたことが判明する。それがこの公演の「おち」となり最後で若山節を発揮した。・劇団とげぬき座 「灰色の街」 作・演出 田沢好一 1992.6.27・28
at 田端Die pratze6月の定期公演は2年生が頭をとってやるいわゆる新人公演。そして誰がやるかということになり、脚本を山本邸に持ちよることになったが、書いてきたのが私だけで自動的に作・演出を担当することとなる。
稽古が始まって脚本がコロコロ変わったり、照明や音響の効果も上手く使えなかったりと芝居の難しさを痛感する。舞台装置もウンコで(ダメなこと)本当に失敗作となった。この公演でカズミーネ後藤君がとげぬき座デビュー。金子真由美ちゃんとニュースキャスターとして共演。その9年後にも同じ舞台に立っているとは私も思いもしませんでした。私はゆすり屋の篠山等役で出演。一部で好評だったようです。

・劇団みこすり半 「ぼそぼそ家族」 作・演出 山本崇 1992.11.1・2
at 大正大学431教室山本崇、登嶋巌信、小田拓平、田沢好一で結成されたギャグ集団。の唯一の公演。今では超ウルトラスーパーマニアックな存在となっています。
水戸のドリファー(ドリフの影響を受けている人)山本崇の世界が満喫できる。何故かこの作品ビデオに残っています。(私は未見)・劇団とげぬき座 「素敵にリーインカネーション」 作・演出 斉藤恵理子 1992.12.4〜6
at 大塚ジェルスホールこの公演では私は一歩退き音響として参加。理由は「ぼそぼそ家族」で力尽きたのとスタッフにまわって別の視点から芝居を観たいため。
しかしこれはこれで大変でしたよ。シーンに合う音を探すのには一苦労でした。オペもすごーくあせるしもう二度とやりたくないですね。小屋入り後の調光室の風景が ビデオに残っています。

・劇団とげぬき座 「NEVER LET ME DOWN」 作 新井大 演出 月下部悟史 1993.3.20・21
at 田端 Die Pratzeとげぬき座最後の輝きを見せた作品。(とげぬき座は1995年消滅)この公演から私がとげぬき座の座長となります。
OB,OGの方々もキャスト、スタッフで参加しての楽しい芝居となりました。その中でとげぬき座のメフィスト、若山隆司氏を忘れるわけにはいきません。音響を担当することになった若山氏。もともと音屋さんなので今回は大丈夫だろう。と思った人は一人もいませんでした。酒臭くない日は一日も無く、稽古も私の記憶ではいたかどうか・・・、たぶんいなかったような気がします。そして小屋入り後。曲数が多かったのはわかりますが、きっかけをずらしたり、M.E.が流れなかったりとそれみたことかのオンパレード。「ゴメン。音でねぇや。」の名文句を残す。でも憎めないんですよね。本当に。今はどこで何をしているのやら・・・。御存知でしたらお知らせください。
私は青田刑事役を熱演(?)「ひらけチューリップ」をカバーしたりました。印象に残っている役は伊比庸晋氏のゲイ・バッバーだなぁ。

・劇団とげぬき座 「Dress You Up」 作・演出 風間洋介 1993.6.26・27
at 田端 Die Pratzeこのころから何となくとげぬき座が今までとは違った毛色になっていきます。それは大学のサークルだし、やってる人たちも年々入れ替わっていくので当たり前のことなんですが少しばかりの寂寥感はありました。
しかし前に進まなければなりません。座長としてがんばりましたよ。そのストレスがああいうことを引き起こすことになってしまうんですがね。(この話は別の機会で。)
前回の芝居で勢いついた私は「よしお」という中国人役?テンションは結構高くて、もう好き勝手やっちゃってます。しかしこのビデオ私は未見なのでどのくらいなものかは把握していません。とにかくむちゃくちゃにやってます。
千秋楽にはアクシデントがありました。イントレで格闘するところがあった後藤君が、殴られた勢いで落っこちちゃったんです。なんとかエンディングまで持ちこたえたものの後藤君は救急車で運ばれてしまいました。しかも悪役だったのでKISSばりのメイクを したままの搬送となりました。とても貴重な体験ですよね。(なに?人事だと思って?そりゃそうですよ。)怪我は大したことはなく一安心。本当に気をつけてね。・劇団とげぬき座 「Dusky Town」 作・演出 田沢好一 1993.12.17〜19
at アートボックスホール私の二本目の作品。前回の「灰色の街」の反省もあり、その改訂版を作りました。当時ずっと私は片想いをしておりまして、その届かぬ想いも埋め込まれています。だから個人的に思い入れの深い作品です。出来不出来は別として。
役者として出ず作・演だけに集中しました。これが理想ですよね。
この芝居のすごさは出演者がなんと23人!よくもまあそんなに出たもんだ。皆に出て欲しかったので。その中には今でも役者として活躍している方もいらっして、嬉しい限りです。ちなみに この公演で私はとげぬき座退団となりました。

・A.LE.LE. 「過剰適応症候群」 作・新井大 演出・月下部悟史 1994.3.5・6
at アートボックスホール「NEVER LET ME DOWN 」のコンビがとげぬき座の名優小林真ことPさんを迎えての オムニバス劇。わたくしこのPさんの演技に多分に影響を受けております。今回の私は一人芝居。というか、テープの声と会話するというとっても難しい役柄。テープに合わせなければならないのでタイミングが毎回違う。本番も音がなかなか出なかったりと苦労しました。しかしいい経験だったと思います。ちなみに音響は後藤君でした。
・しゃっくりママさん 「すなあらしのテレビジョン」 作・炉端出仁郎 演出・田沢好一 1995.3.3〜5
at 赤坂プレイボックス大学卒業記念に結成された劇団。当時ジョビジョバの「ジョビジョバ大法典」だったかな、を観てカルチャーショックに近いものを感じて対抗すべく作った。といったらカッコいいが、やはり格が違うよね。劇団名も彼らはジプシーキングからとっているから私は大滝詠一の曲からいただいた。
自分としてはこのままジョビジョバに対抗して劇団を続けようとしたが、自然消滅。企画されていた「さよならあばよ」の脚本はお蔵入りとなる。
<役者修行時代>
・未来劇場 「泪と接吻」 作・里吉しげみ 演出・久安ネム 1997.6.18〜22
at 未来劇場アトリエ鬼子母神二年間社会人として働き、我慢に我慢を重ねてようやっと動き出して入団したのがここ。あの水森亜土ちゃんがいる劇団。しかし選んだ理由は試験が無いのと家から近かったからというだけ。
本格的に演技指導等を受けるのは初めてなので、とても緊張したし怖かった。演出家も見た目だけだとかたぎとは思えない人だったのでさらに怯えた。何しろどう動いていいのやらわからない。セリフもどうしゃべっていいのかわからない。今考えると素直にやればよかったのかなとも思うが、その場にいるとできない。このときの演技は本当に硬かった。しかし役者として確実に一皮むけた感じがした。この芝居は新人公演で、私はヒモ役でダブルキャスト出演。
なおこの芝居から田澤好一と漢字が変わる。・未来劇場 「色彩間焼豆」 作・演出 里吉しげみ 1997.9.20〜10.5
at 未来劇場アトリエ鬼子母神先輩劇団員と交えてのアトリエ公演。私は松成哲也役のダブルキャスト。私のこれまでの役者活動の中でこれが一番よかったのではないかと思います。稽古も残って熱心にやったし本当に「役者修行」時代でした。
演出家の別荘に合宿もしましたね。亜土ちゃんの画材や絵があったりして。そこで何をしたかは実は覚えてません。せりふ読みの稽古はしました。そのほかに何をしたっけな?とにかく脚本を読んで役をつかんでいくことは迷路のようで行く先を間違えて引き戻したり、同じ所をくるくるまわったりしている感じなんです。それが一ヶ月以上続くと何が何だかわからなくなります。でもとりあえず幕が上がる頃はだいたい出来上がっているようないないような・・・。答えなんか最初からないのかも。・未来劇場 「甘き夢みし酔ひもせず・・・ん?」 作・演出 里吉しげみ 1998.4.15〜26
at 博品館劇場看板女優水森亜土ちゃんを迎えてのミュージカル風・笑劇。しかも創立40周年、70回公演!公演前には記念パーティーが開かれ、音楽担当の小林亜星さん、以前出演した片岡鶴太郎さん、山本リンダさんなどが出席しました。私は小一の秋山役と大島旭役(トリプルキャスト)で出演。亜土ちゃんともいくつかからみがありました。思うがままに演技しているのにそれが観れる芝居なんですよね。
亜土ちゃんは本当に面倒見がよくて毎日差し入れをもってきてくれました。それに年齢不詳のあのテンション。入ってくるなり「キャッホーイ、石焼いも買ってきたぞ。」本当にすごいのひとことです。私も「たー坊元気か?たー坊はおもしろいなぁ。」といわれたのをいまでも覚えています。うれしかったなぁ。
しかし私はこの芝居を最後に退団してしまいました。どうしても劇団になじめなかったのです。それ以来亜土ちゃんにも演出家の里吉先生にも会ってません。いつか会いたいですね。・「Theater PUNK」 構成・演出・脚本・VJ 奥居俊二 1998.8.12〜15
at 本多劇場私の演劇活動第二期の最後の舞台です。音楽、演劇、お笑いなどのジャンルで,オーディションを通過した人たちがユニットを組んで演じ観客の投票によってその日のチャンピオンを決めて最終日にグランドチャンピオンを決めるという腹立たしい企画。
当初は奥居俊二さんの芝居に出演するというものだったがふたを開けてみると、合間に我々自身が考えたネタを発表するものになっていた。
私は柏原直人さん(当時 双数姉妹)、永井努さんと三人のユニットを組むことになる。会って間もない三人の意見はまとまらず、結局各々一人芝居をして最後にリンクさせるというものになった。ネタとしては悪くはなかったが、順番が悪く最初の方。最後に大阪からきた女漫才コンビにチャンピオンをさらわれる。僅差だったが負けは負け。しかし何に負けたのか芝居に勝ち負けがあるのか?万人に受ければそれが勝ちなのか?本当にあのときのダメージは計り知れないものがあった。
しらけちゃったのです。だから舞台から退いてしまいました。このあとワークショップにいくつか参加しますが、体調をこわして引退することになってしまったのです。
<しゃっくりママさん時代>
・しゃっくりママさん 「丈夫な夫婦」 作・演出 田沢好一 2001.10.6〜8
at 新宿シアターPOO3年ぶりの舞台復帰は自分の作品となりました。自分の体調、内から湧いてくる創作意欲、そして拙者ムニエル村上大樹氏のワークショップでの魅力的な役者さんたちとの出会い。いろいろなものがうまい具合に重なり実現されたものです。こんなことは滅多にありません。しゃっくりママさんをやろうと思ったのが8月あたま。すぐに役者さんに連絡をとって顔合わせが中旬。それからホンを20日間で書いたというスピード進行。始めは「ニボシとちゃぶ台」という一本ものを書こうとしたんですけどもどうしてもまとまらず、その一部を切り取って「丈夫な夫婦」としました。(こういうお蔵入りが結構あるんですよね。)
あとは本当思いつきです。楽しくやりたいというのが今回のテーマだったので私的に大成功でした。
<しゃっくりママさん時代>としたのはこれからも活動が続くということです。タブンネ。

・Cat-footプロジェクト 「メイクホーム」 作・演出 金子正人 2001.12.28〜30
at 千本桜ホールNo Sense企画のノシロナオコの紹介で私の役者史上初の客演です。実はしゃっくりママさんの前に今回の話があったのです。ですが急遽「丈夫な夫婦」をやることとなり、人手が私の方でも必要になってしまい金子さんに照明のオペを頼んだ次第。これを持ちつ持たれつと言います。3年ぶりに舞台に復帰したものの、役者として今ひとつ吹っ切れていなかった私。この公演でその殻を破ろうと私なりに頑張りました。その結果は観にきたお客様に判断をお願いします。初の老け役でした。お父さん役。しかしどうも各所に私のつめの甘さが見られましたね。反省。

・劇団ピノサク・パウリスタ 「佐藤君は死んだとマディ男の将来」 作・演出 弁田勤 2002.3.14〜17
at アトリエMODE1999年5月に私は遊園地再生事業団の「おはようとその他の伝言」という芝居に出演する予定でした。しかしその頃体調を崩してしまっており、舞台に立てる状態でなくなってしまい私は稽古初日に降板を申し出ました。作・演出の宮沢章夫さんを始めキャスト、スタッフの方々に多大の迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、復帰してからもそのことが頭から離れることはありません。その時のキャスト、スタッフまたその出演に至ったもとのワークショップの方々にお会いすることがあり本当に謝っております。しかし皆さん私の心配をして下さって、私が悪いのに怒るそぶりも見せず本当にありがたくまた再び申し訳ない気持ちになります。(まだ一番謝らなければならばい宮沢さんにはお会いしていないのであれなんですけど。)
なぜこんなことを書いているのかと申しますとこの劇団ピノサク・パウリスタの弁田勤さんはその時のキャストで共演するはずだった方で、私がしゃっくりママさんで復帰したことを知りお声をかけてくれたのです。本当にありがたし。高谷基史さんと岡野裕くんもそのワークショップ仲間です。3年後にまた一緒に芝居ができるとは夢にも思っておりませんでした。
弁田さんは当時の私の絶望的な感じが今回の芝居の主人公に合うと思ったようです。ですが現在の私は体調も戻り、元気はつらつとまではいかなくても絶望的ではないわけで。ちょっと役づくりに苦労しました。(え、役づくりしてるのかって?どうなんだろう・・・)だから私が夜勤のバイトで疲れた状態で稽古をするとそれがちょうどいい力の抜けようでよいと言っておりました。かといっていつも疲れた状態でやるのも何なんでやはり役づくりをしたんでしょう私はたぶん。
共演した笹田留美さんは映画美学校出身で公演中は映画監督の方々が観にきておりました。青山真治氏もご来場し私と高谷さん(ガードマン役)の掛け合いがよかったといってくれました。もしかしたら二人の映画出演があるかもしれません・・・

・にんじんボーン 「たんぽぽは眠らない」 作・演出 宮本勝行 2002.5.8〜12
at 下北沢ザ・スズナリ私の最も好きなにんじんボーンの出演が実現しました。1994年の「こ・と・ぶ・き」以来ほとんど観てきました。いつか出てみたいと機会をうかがって8年。長かった。オーディションのエチュードは通常の稽古通りに行われました。それは台本をもたせない口立てによる進行でお相手は山口雅義さんと石塚義高くんでした。ものすごく緊張しました。となりに山口さん、前には宮本さん。目がグルグルまわって台詞が覚えられず何回も聞きなおして結局最後までいかずにしまいました。落ちたと思ったら合格!理由は一番ヘタだったから。
稽古に入ったらばいろんなことにビックリ。まずは宮本さんの格言「人生は大喜利だ。」会話は緊張感溢れるものとなります。そして三日で一景を仕上げる。台本はもらわないのでこの期間に台詞を覚えなくてはならない。宮本さんのシーン作りは本当にすごいです。アレは並大抵ではできませんよ。息ハァハァでやってますからね。シーンを作っているうちに時間が長すぎてカットしちゃったものも多々あったんですけどそれもおもしろいの。もったいない。役者しか知らないロングバージョンがあるわけです。
稽古終わってからラーメン食べにいったことや稽古場に泊まったこと。一ヶ月本当に楽しかった。一番の収穫はみんなと仲良くなれたことです。

・しゃっくりママさん 「夜だから」 作・演出 田沢好一 2002.10.3〜6
at アトリエだるま座昨年はオムニバスだったので今回はぜひ一本ものを作りたかった。自分なりにいろいろ挑戦したつもりなのですが、全然できていなかった。ビックリした。
脚本、演出の限界。才能の無さを痛感した公演となりました。全て私の責任です。トホホ・・・
しゃっくりママさんの公演はこれで一区切り。またいつかどこかでやりたいなと思っております。
・にんじんボーン 「佳日のほうへ」 作・村上マリコ 演出・宮本勝行 2003.2.4〜11
at 下北沢ザ・スズナリ

・Cat-footプロジェクト 「カフェーにて」 作・やまうち くみこ 演出・金子正人 2003.3.20〜23
at 江古田ストアハウス
・劇団ぐるぐる牛 「髑髏祭」内 「青いハンカチ」 作・演出 田沢好一 2006.8.4〜6
at 北池袋新生館シアター
「丈夫な夫婦」に出た徳元嬢からの依頼で久しぶりに作・演です。オムニバス公演の中での10分の作品。
もともと、これは僕が10年前、しゃっくりママさんの第2回公演用に書いた「さよならあばよ」からの引用で、日活ムードアクションをデディケイトしたものでした。でも、やっぱりあの頃の湿度を出すことができませんでした。これも僕の力のなさです。ガックシ。
タイトルは石原裕次郎主演の名作「赤いハンカチ」からとって、黄色は健さんになっちゃうので「青いハンカチ」。また、赤→黄色→青と信号で言えばこれから「進め」でしゃっくりママさんは不滅だとそんな気持ちも込められていました。
落語も今の僕にはとっても重要な位置をしめており、どうにか芝居に取り込めないかと苦肉の策が大喜利で謎かけ。もっとインプロチックに自由にできたらよかったんですけどその時間はありませんでした。やはり今回もアイデアだけで、ネリが圧倒的に足りなかった。やっぱり向いてないんですね。さげの「大喜利よ今夜もありがとう」も親父ギャグ?
この半月後の高校野球で、このタイトルが注目されるとは・・・ (2006.9.1)